古知谷阿弥陀寺にはミイラ佛がある【京都市左京区大原】
京都の大原と言えば、三千院が有名で、多くの観光客はそちらに行きます。
そこから北へさらに進むと、古知谷阿弥陀寺というお寺が山奥にひっそりとあることをご存知でしょうか?
私は全然知らなかったのですが、興味がわいたので行ってきました。
紅葉が綺麗な古知谷阿弥陀寺とは
1609年に、弾誓(たんぜい)上人が開基なされた如法念仏の道場です。
弾誓上人は諸国行脚で各地を回って苦行修練を重ね、佐渡島の檀特山において生身の阿弥陀佛を拝し得ました。
そこで授かった他力念佛の深義と、帰名十万西清王法国光明満正弾誓阿弥陀佛という尊号です。
その後、信濃国の唐沢山および相模国塔ノ峰において法益をすすめ、最後の修行の地として古知谷へ赴きました。
ここが参道入口です。紅葉シーズンは過ぎていたため、寂しさを感じますが、紅葉シーズンとなると映える写真を撮れるスポットです。
古知谷阿弥陀寺へと続く参道を車で進みます。車だから楽でしたが、結構な角度の斜面なため徒歩だと相当体力をもっていかれます。
周りを見ると、シーズンならさぞ見事な紅葉が見れるだろうと容易に想像できます。次来る時は紅葉シーズンに来たいものです。
長い参道には色々な石碑があり、読めない文字が多かったのですが、その中で気になる文字が書かれている石碑がありました。
その石碑には禁葷辛酒肉と書かれていて、辛みや匂いの強い野菜(ニンニク、ニラ、ネギ、らっきょう、あさつき)、酒、肉を禁ずるという意味です。
厳格な教えがあるお寺です。
一般車両侵入禁止と書かれた看板の手前に駐車スペースがあり、そこにとめてから石段を登り始めました。
車内にいるときは気づきませんでしたが、とてもヒンヤリとした空気で山固有の肌寒さがありました。
石段にはコケがビシっと生えていて、少し滑りやすいので注意をしながら登ります。
その途中、違和感のある雰囲気をまとった木がありました。
木のすぐ脇に、立札があり説明が書かれていました。
この木は大原の里 10名木の一本で、古知谷カエデ(タカオカエデ)です。樹齢800年以上、京都市天然記念物に指定されています。
阿弥陀寺が1609年に創建されましたが、創建される前から既に古木ということです。
阿弥陀寺周辺にもカエデはたくさんありますが、このカエデが最大のもので、幹に多数の支根ががからみつく特異な形状をしていて、古木の風格を感じさせます。因みに、グーグルマップにも出てくるので、相当有名な古木です。
受付所に着くまでに、とても歴史を感じる古びた建物を見かけました。
気になったので、受付にいた住職(?)に訊いたところ、石垣の上に作られたこれら建物は、昔修行僧の宿泊施設として利用されていたとのこと。
現在は使われていませんが、その名残が今尚残っています。
御朱印を頂いてから本堂へ
受付の住職(?)に色々とお話を聞かせていただいた後、拝観料と御朱印代を支払いました。
他のブログを見ると、拝観料が300円や400円と書かれていましたが、私は450円でした。値上がりしたようです。
御朱印には、弾誓上人の絵が彫られた印も押されています。
本堂に入ると、すぐに広間があります。長机が立てられていて、その上には旅の思い出帳なるものが置かれていました。
写真が飾られていて、そこには文仁親王(秋篠宮)様が来られた時の写真もありました。
皇族とのご縁も昔からあるのが分かりますね。
弾誓上人石廟と書かれた部屋があります。
弾誓上人が1613年に本堂脇の巌窟内で即身仏となり、ミイラ佛は石棺に納められて石廟に安置されています。
石廟の入口横にある説明書きには、即身仏に至る詳しい説明も書かれていました。
弾誓上人は、穀絶ち塩絶ちの末、松の実、松の皮を食べ、体質を樹脂質化して後念佛三味をもって生きながら石窟の二重の石棺の中に入り、念佛の声が聞こえなくなった時、空気穴を密閉し、現在でも「ミイラ佛」として端坐合掌の相で安置されています。
凄いという一言で表してはいけない程の壮絶な人生です。色々な考えがあるのは分かりますが、一体何が弾誓上人をそこまで突き動かしたのかが知りたくなります。
石廟の中には入れましたが、写真を撮ることはやめました。
壮絶な最後を遂げた方が安置されている所を興味本位で撮ることは失礼だと感じたからです。
本堂には、弾誓上人の自作自像植髪の仏像があり、両耳近くに少しだけ植髪が残っているそうです。
正面右脇には、重要文化財の阿弥陀如来坐像が安置されています。
弾誓上人が生前使われていた物や皇室から賜った多数の宝物が陳列されていました。
江ノ島弁財天より授与された金の団扇、鉄の履物、法衣、鉄杖といった珍しい物ばかりです。
即身仏となられた方の物と思うと、より一層神聖な物に見えます。
ブログをチェックしてから行く
古知谷阿弥陀寺は自前のホームページがありません。大原観光協会のホームページに少しだけ情報が掲載されているだけでした。
そのため、公のホームページを活用するのではなく、参拝された方々のブログを見ることをお勧めします。
人それぞれ感じ方が違います。自然のことについての感想を重点に書かれている方もいれば、お寺の外観や内観について詳しく書く方、歴史を重点に書かれている方もいました。
そういった方々のブログを見てから参拝すると、一層楽しめると思います。
弾誓上人について少しでも知っておくと、石廟を見た時は感動を覚えることでしょう。
アクセスと地図
地下鉄烏丸線:国際会館駅から、大原・小出石行バスに乗車。古知谷で下車し、そこから徒歩15分。
バスの本数が少ないので、時間を確認してから行動することをお勧めします。
車を40台収容できる駐車スペースがあります。
阿弥陀寺に近づくほど駐車スペースが狭くなるので、注意が必要です。
拝観時間:9:00~16:00 ※1月と2月は休まれます。
時期によっては大量の虫が発生することがあります。
秋頃に一度、参拝しようと阿弥陀寺に一番近い駐車場まで車で行きましたが、あまりの虫の多さに車から出ることができず断念しました。
コメント
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わしは自称考古学をやっていたが、今はコロナで自粛している
昔、日テレの追跡という番組でそくしんぶつの特集をやって、そのなかで
岐阜県横倉のミイラが日本最南端のミイラだ
と話されていたのを覚えている
それじゃあ京都市こちや?にあるミイラ(追跡の後に知ったのですが)は横倉より南?
という疑問を持ったし、大阪府藤井寺市で92年前にミイラになり、つい最近報じられたミイラもある
わしは京都出身だが、京都のミイラは知らなかったし、藤井寺市のミイラも知らなかった。
日本には最北端?の奥州藤原氏のミイラは有名だし、最南端の藤井寺市のミイラ、長岡京市のミイラ?
有名になってもいいのだろうか?