融神社へは堅田駅からバスが出ています【滋賀県大津市伊香立南庄町】
大津の教室から車で自宅に帰る途中、いつもとは違うルートで帰っていると、神社を偶然見かけたので寄ってみました。
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源融が祀られた融神社情報
周りは田畑しかなく、何もない一帯でしたが、その神社の周りだけは木々がたくさんあり、目立ちます。
融神社と書かれた石碑があるのですが、最初は全く読めず、神社の説明書きをみてはじめて融(とおる)と読むのだと知りました。
ここは、源融公とその母大原全子が祀られた全国唯一の神社です。
源融公は嵯峨天皇の皇子です。まさかこんな辺ぴな所に、嵯峨天皇と血縁関係のある方が祀られているとは驚きました。
源融は河原院という邸宅に住んでいたため、河原左大臣とも呼ばれていたのですが、それ以上に百人一首の歌で有名でした。
〈陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに〉
という恋の歌です。ザクっと要約すると、私の心が乱れるのはあなたのせいです、それほどあなたのことを好いていますという感じでしょうか。
源氏物語ファンとしては当然な知識かもしれませんが、源融は光源氏のモデルの一人と言われています。
源氏物語に関係ある人が祀られているとあって、源氏物語ファンが参拝に来られることが多いようです。
神社へと続く道は実に静かで、神秘的な雰囲気がありました。
石碑がある所から車でずっと進んでいくと、鳥居が見えてきます。
車でもそこそこの距離があったので、歩くと意外と良い運動になると思います。
歴史を感じる立派な鳥居ではありますが、あまり手入れが行き届いていないようで、率直な感想としては汚いでした。
駐車場らしきスペースが鳥居近くにはなく、左側にある道を進んだ先にちょっとしたスペースがあったので、そこに車をとめてから境内に入りました。
自然災害の影響でしょうか、道路を舗装していました。
境内を見渡すと、いびつな形をした石が置かれていて、そこには歌が刻まれていました。
〈ちかひてし 公葉の末の 世々かけて すべらのこの処 まもれこの神〉
ザクっと要約しますと、公に誓い合ったように、天皇の血を引く方と関係のあるこの地と神を守り続けなさい。
この歌は1466年にこの神社を訪れた式部郷によって詠まれたそうです。
境内の中央には舞殿があります。しっかりとした造りで、現在でも使われており、源氏物語千年紀を記念した式典なんかも開催されました。
その時は「源氏舞」が奉納されました。地歌舞の家元が源氏物語54帖を研究し、1帖ずつ振付を考案した創作舞踊です。
他ではなかなか見れない舞踊とあって、一見の価値があるようです。
舞殿を通り過ぎると、社殿があります。
向かって左が大原全子、右が源融が祀られています。
天皇の血筋の方が祀られているから、もっと綺麗なのをイメージしていましたが、地味です。
しかし、長い歴史を感じられる佇まいに、思わず手を合わせたくなります。
舞殿と社殿のちょうど真ん中あたりに、大きなくぼみがありました。
くぼみは黒くなっているので、何かを燃やしたと思われます。一体何を燃やしたのか、それが分かる痕跡もなかったので、謎のままです。
参拝をした後、さらに奥へ進むと何かが祀られている滝があるという情報を、神社周辺を散歩していたグループの方に教えて頂きました。
向かってはみたのですが、車で進めど全く着く様子がなく、途中で引き返すか悩みましたが、それでも進むと発見しました。
といっても、滝ではなく、滝へ続く道を発見しただけです。その道に入るには門を通過する必要があったのですが、門の開け方が分からず、断念しました。今にして思えば、悔いが残ります。
因みに、門は一般の方が開けて通ることが出来るそうです。しかし、何があっても自己責任です。
神社へと戻る前に周辺の写真を撮っていると、畑の周りに柵があることに気が付きました。
それも普通の柵ではなく、電気柵です。猪等が頻繁に出没するので、対策として電気柵を使用しています。電気なので当然人間も感電します。その注意喚起として、黄色い貼り紙がつけられていました。
触らなければ問題はありませんが、小さい子供がいるご家庭は近づかない方が良いでしょう。
アクセスと地図
JR:雄琴温泉下車 徒歩1時間。
堅田駅で下車し、江若バスに乗車して南庄で下車します。
駐車場はありませんが、石碑近くに一台とめられるスペースと、境内の左側にちょっとしたスペースがあるので、そこにとめることは出来ます。
ただし、現在工事をしているので、工事業者の車がとめられている可能性が高いです。
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