国家鎮護の長谷八幡宮(八幡神社)へはバスが便利【京都市左京区岩倉長谷町】
三宅八幡宮から北へ進んでいくと、別の八幡宮があります。その名は長谷八幡宮。
三宅八幡宮は秋の祭りで非常に賑わうので、少し離れた住民からも認知度があります。
しかし、長谷八幡宮は山林に覆われ、行くのに少し不便な所にあるため、認知度では劣っています。
そんな長谷八幡宮周辺に友人が住んでいたということもあり、私は馴染みがある神社です。
そんな神社に約20年ぶりに訪れました。
天安元年につくられた長谷八幡宮とは
私が子供の頃と比べると、長谷八幡宮周辺は区画整理がされ、新しい家も随分建ちました。
とはいえ、昔から住んでいる方が多い一帯でもあるので、昭和と平成の特色が混在した住宅街です。
いずれ令和色も入ってくることでしょう。
そんな住宅街をず~と歩いて行くと、長谷八幡宮のある山が見えてきます。
鳥居
長谷八幡宮ってどんな所?と訊かれると、まず思いつくのが鳥居です。
伏見稲荷大社みたいな大量の鳥居があるというはわけではありません。
八幡宮から離れた位置に石製の鳥居が2基あるのが、子供の時はそんな離れた所に何故あるの?と、ずっと不思議でした。
長谷八幡宮から南の位置に建っている鳥居。
住宅街に突然現れます。
長谷八幡宮まではまだ随分先にあり、影も形も見えないので、初めて見た人は驚くと思います。
ここから参道というのはピンとこないかもしれません。
長谷八幡宮から西の位置に建っている鳥居。
歴史を感じる家々が周辺にあり、違和感はありません。
ず~と奥の方を見ると、うっすらと長谷八幡宮が見えるのでここから参道だと分かります。
境内にある鳥居。少し新しいなと思っていたら、1979年に事故で破損し、1980年に修復されたとのこと。
新しい割には風格がありますね。
惟喬親王(これたかしんのう)と惟仁親王(これひとしんのう)
惟喬親王の御請願に依り、八幡大神ならびに惟仁親王を勧請し、天安元年(857年)に洛北の地に鎮座された歴史のある神社です。
皇位から艮位の方向にあたることから、国家鎮座の社として祀られたと言われています。
長谷村、花園村、中村、三宅村の岩倉四ヶ村一円の広大な地域の氏神として崇敬されています。
拝殿。
本殿。
だいぶ薄れて何の絵が描かれていたか判別しにくいですが、鳥、馬にまたがった武士、馬だと思われます。
米寿と書かれた額。枡飾りと言われるものです。誰かの米寿のお祝いに奉納されたのでしょう。
奥から、神明社、稲荷神社、山王神社、春日神社、疫神社、蔵王神社、鴨皇神社、梅宮神社の並びになっています。
蔭山神社。
社務所っぽいのですが、人の気配はありません。
そして初めて気が付いたのですが、ここは御朱印がありません!
全ての神社には御朱印があるものと思っていただけに、驚きました。
祭りと山奥探索
秋大祭日には、神輿を奉じ、氏子区域を巡行し、三宅町の御旅所まで渡御が盛大に行われます。
まだ見たことはありませんが、いずれ見に行きたいと思います。
本殿の裏は深い森が広がっており、子供の時は危険なので行かないよう親に注意されましたが、今は大人です。
意を決して森の中に入りました。
小川沿いになにやら石窟があります。
大峰修行供養塔建立記念と石碑に刻まれています。
奥を見ると、役業者と思しき像が2体あり、その内の一体は首がありませんでした。
最近は雨が降っていないから水量はありませんが、雨が降った翌日はもっとはっきりとした小川になるでしょう。
妙法蓮華経の石塔。
緑色の蛍光塗料でも塗っているのかと思うような綺麗な苔に覆われています。
奥へ進めば進むほど苔がビッシリと生えています。
人の出入りがほとんどないことが分かります。
得尾谷 新池。
昨年の台風の影響でしょうか、木々がたくさん折れていました。
池のフェンスに沿って、奥へと進む道がさらにあります。
行こうと思ったのですが、突然嫌な予感に襲われ、足が止まりました。
一体この奥に何があるのか、後ろ髪をひかれながらも、長谷八幡宮へ引き返しました。
アクセスと地図
叡山電鉄:鞍馬線の岩倉駅or八幡前駅から徒歩で約30分。
京都バス:26系統バス 岩倉村松行(国際会館駅前ー岩倉村松・花園町経由)に乗車し、長谷八幡で下車。徒歩5分。
拝観時間:自由。
電話番号:不明。
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